Guitarist of Shambara Web

Guitarist

Masaaki Oguro

Masaaki Oguro
神奈川県在住
自称ギタリスト

ギターを使った「ブルース顔弾き」が特技
趣味はぼんやりする事とドライブ

好物はカレー

2000/9/11
bassに 高橋明大さん、drums に佐藤麻智子さんと「樂」を結成
2001/2
アコースティックギターでソロの弾き語りをしていた半谷貴之さんと運命的な出会いをし、「ノスタルジックジャンキー&樂」結成
自由が丘「PA-TRUSH」を中心に都内ライブハウス等、精力的な活動を行う
2004/6/18
1stマキシシングル「ここまで来ました」発売
発売以降、ライヴ活動を中心にテレビやラジオなどに出演
2007
「ノスタルジックジャンキー&樂」活動を休止
以前より大ファンであった「霞町ファンク」にゲストで参加
横浜を中心に活動
2007/9
霞町ファンク1st Album 「FROM THE END OF THE WORLD」発売
CD発売以降「霞町ファンク」にメンバーとして正式に加わり、都内や横浜を中心に活動。テレビ神奈川(tvk)「みんなが出るテレビ~ヨコハマ開放区」の「Yokohama Music Power」にゲスト出演
2008/3
「霞町ファンク」活動休止
「ヒラナイマコト」さんのサポートとしてライヴやレコーディングに参加
以降様々なミュージシャンの方々とのライヴなどで活動
2010
霞町ファンク活動再開
2010/5
以前より「何か一緒にやろうよ!」と誘ってくれていたベーシスト岡崎氏のサポートするバンド「Cheapsweets」に加入
(Vo.前田直伯、Dr.安田司、Ba.岡崎拓実)
小黒昌明が加入後、バンド名を「HANICAM」として本格的に活動を始める
2011
現在、「霞町ファンク」と「HANICAM」で、都内や横浜のライブハウス等にて精力的に活動中

Organizer

Tsuyoshi Hoshi

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Tsuyoshi HoshiTsuyoshi Hoshi
13歳頃、ガットギターを弾き初める。ひたすらギターに没頭。16歳で東京音楽芸術専門学院へ推薦入学。バンド活動やレコーディングに明け暮れ、更に奨学金で音楽専門学校へ入学。

20歳頃バイク事故に遭い、やや後遺症が残ったためギタリストを一時的に断念。後、たまたま音楽への道に戻る機会に恵まれ、音楽専門学校へ再入学。サマーセミナーにてチームリーダーを任され、チームでグランプリを受賞。

在学中である2008年9月25日からセッション・イベント「NOISE」を立ち上げる。オーガナイザーとして、ノンジャンル・セッションを軸にした音楽イベントに励む。ライブハウスで年合計20回以上のライブとセッションを開催。2010年4月までに計27回のセッションを行い、翌年もサークル活動のようにしてイベント等を続け、自由な音楽を探求。

途中2009年5月、NoiseMusicと混同されることが多いため、「NOISE」から「Shambara」と名称を変更。アーティストを応援する音楽団体の主催者として活動を開始、個人ではギターレッスンもスタート。2010年に数ヶ月の音楽活動休止を経て、音楽団体を改め「ShambaraProject」と名称を更に変更。

2010年9月末、LiveBarHoldOnに活動の場を移し、イベントも個人的なギターレッスンも、お店への応援も兼ねて再開。その際オフィシャルサイトをリニューアルし、イベントを再開。 2010年には二度のラジオ出演をし、公開録音ライブにも出演。同時にHoldOnではフリーランスのスタッフとしても尽力しながら、サポートギタリストも努め、現在も鋭意精進中。

Chief

Naoto Tomiya

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Naoto TomiyaNaoto Tomiya
元バンドマンで父親でもある富谷一明(現在画家)の影響で、幼児期から音楽に親しむ。10歳の頃クラスの演奏会でみんながリコーダーを吹く中、一人堂々とガットギターでの共演を試みる、が、出だしを見失い一音も弾けず初演にして挫折。

しかし音楽への衝動は止まらず、中学に入りアコギ、高校でエレキ、続いてベースやドラムも始め、高校時代はバンドを複数掛け持ち、高校の音楽祭を立ち上げたりといった活動をする。

高校卒業後もバンド活動を続け、ライブ、コンテスト、イベント、レコーディングと経験を重ね、90年代前半、当時バンドメンバーだったアメリカ人の帰国に合わせシアトルに渡米。新たな環境に流され、1年音楽から離れ間違った道へ。ついには全てにおいて調子に乗りすぎ人生そのものに挫折。

その後、改心すると共に音楽活動を少しずつ再開し、ブルースセッション等に参加。アメリカ滞在2年半後の集大成(最後のあがき)として、1ヶ月かけてアメリカを一周。全米各地でセッションを行う。テネシー州メンフィスではスカウトされ、アフリカンアメリカンフィスティバルにゲスト出演。

帰国後早々、地元で行われた「山陰・夢みなと博覧会」のバンドコンテストに出演。作曲したデモ曲が地元代表として選ばれる。授賞式の際にはデーモン小暮閣下に「態度が悪い!」と出演者まとめて怒らる。それを期にDTM環境を整え曲作りに専念し、バンド活動はマイペースに行う。

2000年に入り新たな音楽環境を求め上京。ライブハウスと音楽事務所のスタッフとして音楽業界に携わりながら、新たなバンドで活動再開。2005年にはベースレスバンド「◯十九壱(オトクイ)」でインディーズデビュー。2008年末からはトットギター教室の講師としてレッスンを始め、若手の育成に励みながら、Shambaraのチーフとしても主宰者を支え、多くのアーティストと関わり、バンド、プロジェクト、イベントと形態を問わずに活動し、現在もますます音楽に没頭中!

Last updated 2012-05-09

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